undefined MIKEGRAPHY(三毛駆楽風慰) 九州旅行記

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九州旅行記

ちょっと前ですが、2015.05.23-24で九州に行ってきました。
今回は福岡・太宰府に行ってきました。
実は24日にNEWSの福岡がライブがありまして、それに当選したことで福岡行きとなったわけですが、むしろなんだかこっちのほうがメインになっておりまして。
まあね
福岡にお友達がいる、というのもあるのですが(しかも彼女も歴史好き)それと同時に、やはり九州には本州にはない魅力がたくさんあるわけでして。それに気がつくのもかなり遅かったとおもうのですが、やはり思い立ったがなんとやら、ですのでね、目いっぱい楽しんできたわけです。

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太宰府、といえばやはり太宰府天満宮、なのでしょうが、その前に私には行きたいところがあるわけです。
太宰府は国府であり天満宮、が有名ですが、博多を抱えた大陸への玄関口であり貿易港であり、そして九州最前線なわけでして、それは奈良時代から続いていたし、中世日本においてもここは大友・島津などの九州覇権を争ううえでの重要戦線だったわけです。
その城跡を見に行こう、が今回の大目的だったわけです。
福岡空港からすぐに大宰府に直行し、先に行ったのは大野城跡でした。
こちらは古代の城であり、太宰府防衛・九州防衛の最前線でした。
山全体を城とし、そこに石垣を積む。
中世日本の城郭や本州の城郭には見られない石垣をみたくて行ってきました。

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一番みたかったのはこれ。
俗に『百間石垣』と呼ばれる古代の城の石垣です。
中世日本の野面積みなどとはまた違う、この時代、この地方ならではのものだと思うし、山の稜線をうまく利用した防御壁をだと思います。本当に石の『顔』をよくとらえて、それぞれの石をうまく積み重ねた、それは見事な石垣でした。
しかしこの百間石垣よりも、この上にあった石垣のほうがすごかったです。

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下からみるとこんな感じです。
朝鮮式山城は東日本には見られないものですし、秀吉の朝鮮出兵の後に築城された城(例えば彦根城など)でその姿はみられても、それ以前に本当に大陸からもたらされた城の様式はこういう古代の城でしか見られないため、本当にこういうのは勉強になります。
わくわくします。
知らないことをしる、見られる、というのはいくつになってもいいものですね。

さて、大野城のすぐしたにあるのが、ぐっと時代をくだって本命(なんの?・笑)であるところの岩屋城跡です。
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ここは九州をかつて手にしかけた名門・大友一族の一門、一萬田家の一族、吉弘鑑理(よしひろあきただ)の次男である鎮種(しげたね)つまりは高橋紹運の城であり、柳川藩主・立花宗茂の生まれた城でもありました。
そしてその紹運が島津からの攻撃を受け、兵士ともども討ち死にした場所でもあります。
立花城ともども、大友vs島津の最前線だった場所がどんなところだったのか、どういう場所で紹運は死んでいったのか、それが見たくていってきました。
ところが!
『岩屋城どこー!』
『どっからいくの!』
大野城を降りて太宰府の行く途中にありますよ、と大野城にいた教育委員会の人にいわれたのですが、まあ行けども行けどもどこなの、的な感じでして。
んでやっと見つけたら本気で山城だった。
看板が立っているのは本丸への登り口だったのですが、今でこそ太宰府からいい道路がありますけど、当時(400年以上前)にはそんなものなかったわけですからね、そりゃ大変だったと思いますよ。
まあいつも山城に行くとそう思うんですけどね。

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本丸跡からみた景色はまさに絶景。
今でこそ博多も埋め立てられ海岸線も地割りも変わってしまいましたけど、山っていうのはそうそう変わらないので、あーここから島津は攻めてきたんだな、背後の大野城側から攻めるのはやはり大変だから太宰府側から来たんだろうし、立花山との連携はやはり防衛線として重要だったんだな、と実感してきました。
そして高橋紹運はこの城で切腹をしてお墓も城跡にあると言われたんだけど、その墓のある二の丸がどこにあるかわからない!
墓どこ!
ここが本丸なら二の丸は下に必ずあるはず、背後は大野山なんだから太宰府側に絶対にある!と思ったんだけど、見当たらないでいたら、本丸から見下ろしたら…
『あったー!』
をを、あそこが二の丸かあ、というのが先でしたけど(笑)

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とりあえず、切腹だったようですね、宗茂パパは。
でも武士として立派な最後だったと思いますけど、大友のために命をかけるのはどうだったんだろうなあ…と今なら思います。まあ当時は主家に対する忠義は当然ですからね。そういう結末になるのは当然でしょうし、この戦いがあって時代が変わったのも確かだと思いますし。
本丸からみて、あー確かにここは重要拠点だなあ、と実感しました。
行ってみなくちゃわからない、実際見なくちゃわからない、こういうときにそれを実感しますね。
だからこそ行ってよかったな、と実感しました。
何を思ったか紹運様のお墓まいりをした後にぱらりと雨が降りまして。
なんだろ。
紹運さまの何かか、ここで戦死した方々のなにかか。
そういえば、ここのところお城にいくと雨が降ることが多くなりましたね。城にいった時に雨なんじゃないんですよ。
城に行って大雨だったのは一昨年の亀山城・有岡城くらいかな。
あとは城に行ったあとに雨、ということが多いですね。
3月に安土城に行った時も、実は安土出たあと雨に降られまして。
昨年熊本に行ったときは、城に行く前に大雨だったりとか。
雨と城っていう組み合わせは多いかもしれないですね。
一番びっくりしたのは、一昨年関西に行ったときに、ずーっと大雨だったのに、信長の墓参りで阿弥陀寺に行ったときだけ突然晴れた、ってやつですね。
信長何者!(笑)

その後、九州国立博物館に行って『戦国大名展』をみてきました。
立花宗茂も甲冑とか、なかなか見られないものがたくさんあって楽しかったし、なにより太宰府天満宮に初めてきましたしね。
梅ヶ枝餅も美味しかったです。あれは焼きたてを食べるのが一番おいしいですね。

とにかく楽しい福岡旅行でした。

無論次の日のNEWSのライブの最高に楽しかったです。
いやあ、メンバーが近くてね、手越さんとアイコンタクトしてきました。え?幻じゃないかって?いやあ、それはないでしょ。だって至近距離推定2mですよ?いい香りまでわかる距離ですもん。
まっすー以外はアイコンタクトとれたかな、と。
小山さんとは初めて真面目に目を合わせたきましたしました。
東京ドームも楽しみです。

実は6月は姫路城・竹田城・備中松山城に行くことになりました。
めちゃめちゃ楽しみです。
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あきよ

Author:あきよ
中世日本史研究家。
マスターズスイマー。
出会う人に笑顔と勇気と力を与える存在。

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