undefined MIKEGRAPHY(三毛駆楽風慰) 信長は光秀に『本能寺で家康を討て!』と命じていた

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信長は光秀に『本能寺で家康を討て!』と命じていた

…読了しました。

本当にどれだけ自宅に本能寺の変に関する書籍が増えるんだか(笑)もう書棚が信長と光秀の本にあふれてきておりますが、それでもわからないとなると知りたくなるのが人間というもので、その個人的な最たるものが『本能寺の変』だとおもっておりますが。

信長担歴30年ですんで(笑)

そもそもなぜこんなに本能寺の変にとらわれるのかというと、やはり『信長の死体が見つからない』そして『光秀はそもそも本能寺の変の首謀者だったのか』という疑問をずっと持ち続けていたからです。
歴史小説とか歴史ドラマとかにはよく『本能寺の変は自分の処遇に対して怒りがたまった光秀が起こしたクーデターである』というふうに描かれます。
確か光秀が領地を召し上げられ、石見などの当時毛利領だった国を自力で切り取って領地とせよ、と信長に命じられたのは事実だし、信長が現実主義者で能力がないとみなせばどんな人間であってもあっさり切り捨てる実力主義者であったことには間違いないでしょう。
光秀だって信長に叱責されたことがあったと思います。
だけど、それだけで光秀ひとりで1万以上の軍を動かし信長を撃ったとはどうしても思えない。
だって、浪人していた身を出世させてくれた人ですよ。
第6天魔王であれなんであれ、当時の光秀的にはそれにはどうしても踏み出せなかったはず。それに仮にそのまま石見を毛利から切り取ってしまえば(光秀にはそれだけの軍師としての才覚もあったわけだし)そのまま石見の銀山奉行にだってなれたはず。
だから、戸惑う光秀の背中を押す何かがあったんじゃないか。
光秀の背後には黒幕がいる。光秀は確かに本能寺の変に関わっていたかもしれないけれど、決して首謀者でもなければ単独犯でもない。
じゃあ黒幕は誰か。
だれが光秀の背中を押し、後に光秀に信長暗殺の汚名を着せたのか。

ここが全ての始まりでした。

いろいろ本を読んでみて考えている個人的な見解は、やはり黒幕にいたのは朝廷ではないか、ということです。

当時、未遂とはいえ、信長は天皇の安土遷都をこうじたり、改暦を考えたりしていた。つまりは朝廷よりも自分が上にたって日本を改革しようとしていた。
当時権力を握っていた朝廷と公家が自分たちをないがしろにした、と怒るであろうというのは容易に察しがつきますが、残念ながら当時の朝廷そのものに日本統一を目前にした信長と真っ向勝負するだけの軍事力はない。
まあね
平安時代の朝廷と一緒ですよ。
平清盛の権力掌握に反感を持った朝廷が触手を伸ばしたのは源氏で、用事が済めば手をきる、という毎度お馴染みのパターンです。
そこで白羽の矢が立ったのが当時信長の側近中の側近と言われ、頭脳明晰、軍事力にもたけ、尚且つ調停や足利幕府とのつながりもある光秀だったわけで。
光秀は幕府の主要メンバーであった細川藤孝と故意の中であり、藤孝の息子の細川忠興は光秀の娘である玉(細川ガラシャ)を妻にしているいわば家族の中。
その藤孝は朝廷の神官である吉田兼見とこれまた義理とはいえ家族の間柄で、この兼見を頼りにしていたのが信長と対立している誠仁親王。
そしてこの親王の側近であったのが近衛前久であり、この人は信長と昵懇の間柄だった。
朝廷と信長を結ぶ前久が信長にあれこれ朝廷への難癖をつけられ、同時に武士としての側近であった光秀のことをよく知っている(実際知っていただろうし)立場だとしたら、そりゃもう、信長を討つにはうってつけだと思うでしょう。

まあね

実際朝廷そのものが動いたかと問われればどうかわかりませんが、少なくとも当時太政大臣であった前久が動くということは朝廷が動くということなわけですから、光秀の背中を最後に押したのは朝廷なんでしょう。
無論、あっさりその後は光秀を切るつもりだったのでしょうが、少なくとも信長よりは室町幕府が再興されてくれたほうが朝廷としては都合がいい。
そんなところだったんだと思います。

本能寺の変は結果として信長が討たれることで幕を閉じるわけですが、実際本当に討たれるべきは徳川家康だった、というのがこの著書の内容です。
今川を滅ぼし、武田を滅ぼし、謙信亡きあとの上杉よりも憂慮すべきは徳川家康その人であると信長は考えていたという説で進んでいくわけですが(毛利攻めは部下たちにやらせてますしね)確かにない話ではないと思いますね、これで。
ちょっと根拠が弱い感じがしますけど。
家康首謀者説もありますけど、これだと光秀と家康を結ぶ糸が細すぎる。よって、私はこっちは推してないのですが、家康が暗殺のターゲットになっていた、のほうならうなずけます。

まあここからは私の仮説ですが。

おそらく朝廷は使えるものはなんでも使え、ということで、光秀に蝕手を伸ばすのと同時に秀吉にも触手を伸ばしていたんじゃないですかね。
光秀が信長を撃った暁には、今度はその光秀を秀吉に撃たせる。
秀吉はおそらく独自の情報網を持っていたはずですから、本能寺の変の直後にその情報網を使って朝廷もバックアップしてあの『中国大返し』を敢行した。
朝廷への返礼は、無論朝廷の安泰と室町幕府を滅亡させること。
そんなところだったのかと思います。
そして、山崎の合戦のあと、光秀は落ちていって最終的に首を討たれるわけですが、この首がもう腐敗していた実際光秀だったのかどうか、よくわからなかったそうです。
まあ個人的な見解ですが。
秀吉としてはライバルである光秀にいなくなってもらえればそれでよかったわけでしょ。
信長もなかなか進まない天下統一にイライラしていた。
海外にも興味があった。
そこで、本能寺の変を信長と光秀が共謀して自発的におこし、信長も死んだことに、光秀も撃たれたことにし、実は2人とも生き残って日本を脱出し、マカオなりなんなりに行きました…という想像をしているわけですよ。
ってか根拠ないですけどね、そして希望ですけどね(笑)

そうなったら面白いな、と思っていたりとかしています。

こういう想像とかをしながらいろんな歴史書なり文献を読むのは下手な推理小説を読むよりもずっと面白いし、大好きなんです。

きっとこれからも本能寺の変に関する書籍が増えていくんだろうな…と思ってますけど、きっと水泳同様ずっと興味をもって行くんだろうな、と感じています。

信長があそこで討たれなかったら、歴史はどうなってたんだろう。

そこが一番楽しい想像なんですけどね。
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テーマ : 歴史関係書籍覚書
ジャンル : 本・雑誌

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Author:あきよ
中世日本史研究家。
マスターズスイマー。
出会う人に笑顔と勇気と力を与える存在。

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